2011年5月9日月曜日

人は、生きている限り安全ではない

その安全の基準ををどこに置くかが問題となる。
それは、1ミリシーベルトでも、20ミリシーベルトでもいいのだろう。

ただ、わたしの安全を部外者である君たちに指し示してほしくはない。
そうしたいのであれば、まさに、福島のあのお母さんが言うように、君は、校庭の土をなめてみせなければならない。

それが、当事者である証です。


「20ミリシーベルト」は本当に安全か

 福島県内の学校では、被ばく線量の暫定的な上限を年間二〇ミリシーベルトと設定している。この線引きに強い懸念を示し、涙ながらに「内閣官房参与」を辞任したのが、小佐古敏荘(としそう)東大大学院教授(放射線安全学)だ。専門家の“抗議の辞任”だけに、あらためて二〇ミリシーベルトという基準を考えてみたい。


 静岡県にある中部電力・浜岡原発の下請け労働者が一九九一年に骨髄性白血病で亡くなった。二十九歳の若さだった。原発で働いたのは八一年三月から八九年十二月までの八年十カ月。炉心下部にある計測器の保守などを担当していた。


 この青年が働いていた間に受けた被ばく量は、五〇・六三ミリシーベルトだった。単純に年単位で割り算してみると五・七ミリシーベルトである。実は青年の死は九四年に労災認定された。つまり、骨髄性白血病と放射線被ばくとは因果関係があると労働基準監督署が判断したわけだ。


 被ばくが原因で白血病などのがんを発症し、労災認定を受けた原発労働者は、七六年以降で十人いる。累積被ばく線量は最大一二九・八ミリシーベルト、最小で五・二ミリシーベルトである。


 これらの事実を知れば、子どもが通う学校で、二〇ミリシーベルトを基準に考えて大丈夫なのかと、本当に心配になる。小佐古氏は「ヒューマニズムからも受け入れがたい」と政府を批判した。


 とくに子どもは放射性物質の影響を受けやすい。二〇ミリシーベルトの許容は楽観的すぎる。 (桐山桂一)

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