雑感
昨夜は、眠れぬままに色川武大さんのエッセイを眺めていたのですが、わたしとは、随分違う人だと思っていたけ人だったけれど、、ところどころに似通っているところが現れてきて、それが、急に視界が広がった気分で、なんだか気分がよく、だからと言って、それだけではなく、自分自身を覗き込むようなところもあって、不思議な気分にさせられてしまった。
なかに、彼が、江戸川乱歩に夢中になったことを記したエッセイがあったが、それに出くわしたとき、わたしの父が、職場の近くの貸し本屋から江戸川乱歩を毎日のように、わたしのために借りてきてくれたときのことを不意に思い出した。
「怪人二十面相」「黄金仮面」「蜘蛛男」「緑衣の魔人」…を父の帰宅後、食い入るように毎日読んでいた。
父の帰宅は、江戸川乱歩の到来と同じ意味を持ち、それからの2,3時間は奇妙なわたしの楽しみであった。
あのころのわたしは、明らかに父に愛されていた。
その貸本屋の件に触発されて思い出せば、標準的な父親の愛とは違ったが、わたしは、激しく父に可愛がられ多少念だった。
翻って母を思い出せば、それとはまったく違う方向から、彼女もわたしを激しく愛してくれた。
色川さんは、別のエッセイで、人から愛されることの影響を書いている。
それは、かけがえのないものだというニュアンスで書かれています。
彼の江戸川乱歩についてのエッセイから、少年の頃の愛されていた記憶が鬱勃とわたしの身の内に生じました。
その後、江戸川乱歩は、春陽文庫全八巻(だったかな)で、読みこなし、「心理試験」「屋根裏の散歩者」「パノラマ島奇談」「芋虫」「屋根裏の散歩者」「押絵と旅する男」などに出会うのだった。
それが、今のわたしにどのように影響を与えているのかわからないが、決して、浅くはない傷跡をつけていたはずで、それを何故だか、ひょっとしたら故意に、わたしは忘れていました。
わたしの愛情に関する奇矯さは、幼い頃の母と父からの標準的ではない激しい愛に支えられているところがあり、たいていは、それに強く影響されたわたしの愛と出会うと愛される対象となる人は身を引いてしまう。
それは、わたしの子どもたちからしてそうで、可哀想なことに妻はその代表者です。
私に愛する対象が、ほとんどいないことは、そのことに影響されているのかもしれない。(いや、きっとそうだ)
このことを、しっかりと意識息したことがなかったわたしは、昨夜の色川さんのエッセイは、ある段階で倉皇として閉じたのでした。
わたしの日々お送りする原発情報などに、もし、偏執狂的なところがあるとしたら、それは正義感ではなく、こういった異常なものをわたしが持ち合わせているだけなのだろうではないかと、今朝は思っているのです。
なかに、彼が、江戸川乱歩に夢中になったことを記したエッセイがあったが、それに出くわしたとき、わたしの父が、職場の近くの貸し本屋から江戸川乱歩を毎日のように、わたしのために借りてきてくれたときのことを不意に思い出した。
「怪人二十面相」「黄金仮面」「蜘蛛男」「緑衣の魔人」…を父の帰宅後、食い入るように毎日読んでいた。
父の帰宅は、江戸川乱歩の到来と同じ意味を持ち、それからの2,3時間は奇妙なわたしの楽しみであった。
あのころのわたしは、明らかに父に愛されていた。
その貸本屋の件に触発されて思い出せば、標準的な父親の愛とは違ったが、わたしは、激しく父に可愛がられ多少念だった。
翻って母を思い出せば、それとはまったく違う方向から、彼女もわたしを激しく愛してくれた。
色川さんは、別のエッセイで、人から愛されることの影響を書いている。
それは、かけがえのないものだというニュアンスで書かれています。
彼の江戸川乱歩についてのエッセイから、少年の頃の愛されていた記憶が鬱勃とわたしの身の内に生じました。
その後、江戸川乱歩は、春陽文庫全八巻(だったかな)で、読みこなし、「心理試験」「屋根裏の散歩者」「パノラマ島奇談」「芋虫」「屋根裏の散歩者」「押絵と旅する男」などに出会うのだった。
それが、今のわたしにどのように影響を与えているのかわからないが、決して、浅くはない傷跡をつけていたはずで、それを何故だか、ひょっとしたら故意に、わたしは忘れていました。
わたしの愛情に関する奇矯さは、幼い頃の母と父からの標準的ではない激しい愛に支えられているところがあり、たいていは、それに強く影響されたわたしの愛と出会うと愛される対象となる人は身を引いてしまう。
それは、わたしの子どもたちからしてそうで、可哀想なことに妻はその代表者です。
私に愛する対象が、ほとんどいないことは、そのことに影響されているのかもしれない。(いや、きっとそうだ)
このことを、しっかりと意識息したことがなかったわたしは、昨夜の色川さんのエッセイは、ある段階で倉皇として閉じたのでした。
わたしの日々お送りする原発情報などに、もし、偏執狂的なところがあるとしたら、それは正義感ではなく、こういった異常なものをわたしが持ち合わせているだけなのだろうではないかと、今朝は思っているのです。
ラベル: 日常 考察
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