武田先生と小出先生
お二方ともわたしの貴重な情報源なのですが、自己否定というスコープを通してみますと、あきらかに、小出先生の中にわたし好みの哀しみを見てしまうのです。
そういうことは(人の哀しみを感じることは)、わりとあって、それがわたしの人の好き嫌いの源泉です。
わたしは、哀しい人が好きです。
何の脈絡もなく、哀しい人を信用したくなってしまいます。
若い頃は、よく、騙されました。
そういうことは(人の哀しみを感じることは)、わりとあって、それがわたしの人の好き嫌いの源泉です。
わたしは、哀しい人が好きです。
何の脈絡もなく、哀しい人を信用したくなってしまいます。
若い頃は、よく、騙されました。
ラベル: 日常 考察
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