2011年1月1日土曜日

ベクトルとしてのあなたへ

ベクトルというのは数学あるいは物理学の基礎概念ですが、方向と量(絶対値)からなります。
その程度のベクトルへの理解でわたしの話は始まります。

宣言すべきことは、わたしが方向を重要視する人間だということです。
わたしはあなたがどちらを向いているかを気にします。
わたしは風がどちらから吹いてきたかに注意を向けます。
わたしは誰かにあるいは何かにどちらの方向に押されているのか、引っ張られているのかを意識します。

方向を重要視するというのはそういう意味です。

さて、誉田哲也氏の武士道シリーズでは主人公は剣道に対して正対しようとしています。
正対の仕方が問題になるのですが、細かいことは見ずに剣道に向かっているという乱暴な言い方をすれば主人公を中心に登場人物のほとんどが同じ方向を見ています。
けれどもこの世の中、剣道だけがすべてではありません。
ですから、この小説シリーズにもあれやこれやといろいろなものが割って入ってきます。
入ってきますが、ひたむきと言っていいほど基本的には剣道の方向を向いているのがこの小説に登場する少女たちの特徴です。
そのなかでぴか一の方向性の安定感を見せるのが主人公の一人、磯山香織です。

ま、わしゃこの娘が好きなわけです。
その純度にほれるわけですよ。
方向性の純度に。

もちろん磯山は剣道に対して一直線ですからかなり強いわけです。
めちゃくちゃ強いと言ってもいいかもしれません。
絶対値も備わっているわけですね。
だから周りは彼女の強さ、つまり絶対値に圧倒されます。
けれども、この小説群のいい点はしっかりと方向性にこそ問題が潜んでいることを書き込んであるところなのです。
強い磯山がいかに自分の方向性に悩み、その方向性をあるときは自らいじり、周りからいじられ、さらにどのように堅固にしていくか…、そういうわけで「武士道」シリーズというタイトルになっているのですね。
「武士道」とは磯山の見つめる方向性なのです。

その方向性である「武士道」への磯山の目線が「武士道エイティーン」では試されていくのですね、世の中に。
仕方ないわけです、磯山も年を重ね世間との接触が多くなっていきますから。
その仕方のない中で彼女はどのように自分の方向性を守っていくのか、それがこれからのこの小説の行方であって、これは青春小説の域を大きくはみ出してしまいそうです。
そういうわけでこのシリーズのどの作品がいいのかは別にして、わたしは、前二作に方向性の純度を痛く感じたわけです。

ちなみにこの世の中にはこの世の中の好む方向性がありまして、人はその方向性にあわせて自分の絶対値を大きくしていくというのが常道です。
そうすることで効率よく世の中の評価を得られますから。
ま、それはそれ。
文句は言いますまい。

問題は、わたしはその世の中が要求する方向をあなたが向いていなくてもあまり気にしないということです。
また、どの方向を向いていようと絶対値によってだけの評価はしませんよ、ということです。
わたしは、方向性を追及する純度を評価します。
絶対値は大きいに越したことはないのですが、まあかぎりなくゼロに近くても文句は言いますまい。
あなたが方向性を大事にしているのなら傍に立ちましょうと言っているのです。

そういうことをあの武士道シリーズを読みながら思っていたのですよ、わたしは。

色づけということを少し前に書きましたが、色づけとは方向性のことですよ。
わたしなど単純な人間ですから、もうこればっかり、方向性一本やり。

その意味でこの武士道シリーズはちょっと感動してしまったのです。
これって、小説としての出来だけの話ではなかったのです。
ですから、ほんとはあなたが読んでおもしろいかどうかはまったく保証できません。
けれどもあなたがいかなる方向を模索しているのであれ、その方向への意思の確かさには必ず共鳴します。
それがわたしです。

わたしは、絶対値より方向を重視するうタイプの人間なのです。

よろしくお願いします。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム