2011年3月28日月曜日

ニュージーランドの絵本

友人が、今夕、ニュージーランドから関西空港に到着予定なもので、
この項を起こしておきます。
お帰りの挨拶代わりです。

オーストラリアをアボリジニ抜きに語れないように、
ニュージーランドもマオリ抜きには、語れない。

マオリ(マオリ語: Māori)は、アオテアロア(ニュージーランド)にイギリス人が入植する前から先住していた人々である。形質的・文化的にはポリネシア人の一派をなす。マオリとは、マオリ族の用いる言語マオリ語では本来普通という意味で、マオリ自身が西洋人と区別するために”普通の人間”という意味でTangata Maoriを使い出したにもかかわらず、イギリス人が発音しにくいという理由で、Tangata(=人間)ではなくて、Maoriを採用したのが由来とされる。

ニュージーランドに質の高い挿絵が登場するのは、1940年以降です。
60年代から顕著になってきたのが、マオリの画家によるマオリ神話とマオリ文化を題材にした絵本です。
ベイコン(文)とマチット(絵)の「男の子とタニファ」(1966)などです。

ニュージーランドでは、1840年のワイタンギ条約締結日を境に、土地を奪われたマオリに対する補償の審理が始まります。
84年、マオリ語が英語と並んで公用語となります。
87年には、核持ち込み禁止法が成立されます。(密約抜きで)

2006年のニュージーランドの国勢調査によれば、67.6%がヨーロッパ系、17.7%が、マオリ、以下、アジア系、南太平洋諸島からの移民と続きます。

1970年、ニュージーランドの子どもの本は、絵本も含めて15冊でした。
それ以後徐々に増えていきました。

「大砲のなかのアヒル」も、ニュージーランド人、ロビン・ベルトンの絵で、1984年に再販されました。
「もしゃもしゃマクレリー」で名高いドッドも1970年代から活躍し始めます。

1995年には、マオリ語による子どもの本に与えられる「テ クラ ポウナム賞」が、設立されます。
それ以後、マオリの画家による絵本が英語とマオリ語によって出版されるようになりました。

さらに、マオリを中心に眺めれば、
ラッセル・クラーク賞受賞作「人々の家」(1977)は、ロン・ベイコン文のマオリ神話にマオリの彫刻家として有名なロバート・ヤンケが絵を描いています。
「お父さんたちの魚」(1984)も。この二人の合作です。

マオリ画家として名高いロビン・カフキワの「タニファ」(1986)、「マタツヒ」(2006)、ビショップの「キーウィ・ムーン」(2005)もマオリ神話を題材にしています。

ところで、日本のアイヌの絵本はどうなっているのでしょうね。

あなたは、アイヌ民族、沖縄民族に対して、どれだけ理解しているのでしょうね。
そして、在日朝鮮人に対して…

正しい理解が、どこかにあるとは思いません。
あなたの頭の片隅にその人々の存在を意識することがありますか?

部落民の存在があなたの頭の片隅にありますか?

まさか、差別が解消されたなどと思っていないでしょうね。
たとえば、差別は、隠されているのではないでしょうか。

もしよろしければ、
「新・部落差別はなくなったか?」塩見鮮一郎著(2011)を手にとって見られたらいかがでしょうか?

もちろん、すべて、あなたの自由ですよ、あなたの人生ですもの…

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム