2011年4月15日金曜日

梅から桜へ



どちらも見事ですが、どちらが桜か、どちらが梅かおわかりですか。

古来、花と言えば梅でした。
大雑把に言えば、平安時代以前は花と言えば梅、以後は花と言えば桜です。

だから、小野小町の

花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

の、花は桜ですし、この頃から女性の美しさを桜にたとえるようになっています。
「源氏物語」にもそのメタファーは登場します。

その平安の頃、桜がよいとしたのは、三筆のひとり、嵯峨天皇でした。
嵯峨天皇の心を動かせたのは寺主神社の桜、寺主桜ですが、そのあたりのことは「日本後記」に書いてあるそうです。

それから「作庭記」が桜を庭に植えるべしとし桜が貴族連中に広まっただの、定家がどうした、俊家がどうした、彰子が興福寺の桜をほしがって、興福寺の僧兵と悶着があったのだの…

いやはや、そういう話を過日、ご婦人からとうとうと聞かされていたのですよ。
トホホ…。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム