梅から桜へ
どちらも見事ですが、どちらが桜か、どちらが梅かおわかりですか。
古来、花と言えば梅でした。
大雑把に言えば、平安時代以前は花と言えば梅、以後は花と言えば桜です。
だから、小野小町の
花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
の、花は桜ですし、この頃から女性の美しさを桜にたとえるようになっています。
「源氏物語」にもそのメタファーは登場します。
その平安の頃、桜がよいとしたのは、三筆のひとり、嵯峨天皇でした。
嵯峨天皇の心を動かせたのは寺主神社の桜、寺主桜ですが、そのあたりのことは「日本後記」に書いてあるそうです。
それから「作庭記」が桜を庭に植えるべしとし桜が貴族連中に広まっただの、定家がどうした、俊家がどうした、彰子が興福寺の桜をほしがって、興福寺の僧兵と悶着があったのだの…
いやはや、そういう話を過日、ご婦人からとうとうと聞かされていたのですよ。
トホホ…。
ラベル: 作品
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