2011年6月9日木曜日

知的探究心

性欲と同じように知的探究心もとどまるところを知らないのではないかという疑問を梅棹忠夫先生が認識していたとすれば、その結実がダイナマイトであり、原爆・水爆であり、原子力発電所であるのだろうか。

だとすれば、知ろう知ろうとする気分が、人の中に根強くあるものだとしたら、これは厄介です。
性欲・食欲・睡眠欲が種の保存本能の近くにあるとして、知的探究心だけは、自らを滅ぼす方向にも行きかねないからです。

そのようにして、科学の進歩が破滅への彷徨だとすれば、このことについては、よくよく考えねばならないことです。
で、考えたとして、何らかの光明は、見えてくるのでしょうか。

われわれに課せられた問題ですが、まだ手遅れでないことを願っております。

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