2011年8月10日水曜日

テレビ

わたしには小さなテレビを抱え込んで、そいつを寝転んで見る習慣があった。
ポータブルテレビというのだろうか新書が少し太ったようなテレビで、そいつが映し出す番組といえばたいていのものはそうして寝転がって見るのに心がなじんでいた。
それが、デジタルへの変換で見られなくなったものだからわたしは精神のバランスが少々崩れた。

こうなってはじめて、なんてくだらん番組だと思っていたものがときどきわたしの心を和らげてくれていたことに気がついた。
かといって、くだらない番組は前のままくだらない番組で一向に評価は上がらないのだけれど、わたしの心の中にそういうくだらないものになじんだところがあるのに気づかせてくれた。

もうひとつアナログが見られいシステムになったのがつらいのは、ラジオでテレビの音声が拾えなくなったことだ。
とにかく、テレビを見るときは、少々サイズの大きな画面をイスに座ってか胡坐をかいてか、どことなく正対する気分で見なければならなくなった。

そうなると、くだらない番組はただただくだらない番組に過ぎず、わたしを慰めてくれたりはしないのだった。
では、ラジオかというとラジオもあのくだらないテレビの番組たちに負っていたところがあって、ラジオだけを聞いていると、ラジオにも以前よりしっかりと向き合ってしまうところが出てきてしまう。

わたしの場合、たいていのものにはしっかりと向き合わないほうがいいようで、自分のことは棚に上げてこいつはしょうがないなあと人物にも番組にも音楽にもうなづき方にも言葉のやり取りにも気になるものが出現してくる。
昨夜、興味があってひねったDigというTBSラジオの竹内なんとかという女性アナウンサーには閉口した。
他のまともな話をする連中の雑音にしかなっていない声を入れてくる。

ーああ、それは……ということですね
とか
ー……ということですね
とか
ー…

思い出すのがやっかいだからもういいけれど、まったく必要のない、しかもとっちらかった「まとめ」をいちいち入れてくるものだから、本気でこの女は底抜けの阿呆だと思ってしまった。
実際、竹内香苗という女はどうしようもない女だろうが、それをここで取り上げているわたしもさらにどうしようもない。
暑さのせいかと思われるだろうが、さにあらず。
これは、まことにもってあのくだらぬテレビ番組と接することを強制的に拒否されたが故の中毒症状である。

つけ足しておけば、竹内アナは自分を立派だと思っておいでの方で、わたしはそういう間抜けに接すると狂犬化するところがあって、なんとおまえはつまらない奴だと八つ裂きにしたくなることがある。
けれども、その種の人物と真剣にかかわること自体が情けない様で、…いやあ、実にあのテレビのくだらない番組には精神の穏やかさを与えてもらっていたのだなあと思う。

ただ、それは一種の間の抜けた中毒のようなものだから国のわけのわからぬ利権によるアナログからデジタルへの強制変換がわたしにをどこか別のところに連れて行ってくれるかわからないとは思っている。

しかし、自分を利口だと思ってしゃべる人間というのは浅ましいものですね。
自戒をこめて。
ご同輩。

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