2008年11月6日木曜日

惰眠を貪る

「惰眠を貪っている」と書けば無駄をしているばかりに聞こえるが、そうばかりでもなくて、わかってくることもある。

何事にも量から質に転換するときはあるということだ。

眠りというのは普通、睡眠量やあるいはあいまいなコトバだが浅い深いで片付けられるが、はっきりとこの眠りが違うと実感するときがある。(これは大量に眠ったから識別できるようになったからではなく、その人の感性のありようかもしれないが、ここでは大量の惰眠の結果としよう。愉快だからね)

その眠りは表面的なコリを指圧でほぐすのではなく、体や精神の一番奥のところにころころとあるコリをほぐしてくれる感じがあり、睡眠剤では決して得られるものではない。(経験的には)
では、何によって与えられるのかとなるとそこがわからない。
不意に訪れてくるのだ。

そして、その眠りの後の爽快感は、群を抜いている。

比喩でしか書けなくて申し訳ないが、本当に体の中心にあるころころした肉体的精神的コリをほぐすのが眠っているただ中でさえわかる眠り、そういう眠りを実感できることがある。

これを惰眠の効果といっておきたく思う。 

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