獣の奏者
作品には単に楽しむだけのものがあると書いたが、書き手は単に楽しまそうと書くだけでもたくらみを持つ。
たくらみがなければ、核がなければ、面白みも出てこないからね。
で、こういうことが生じる。
書き手が作品を作る。
ここにおいて作品は完成する。
しかし、作品の評価はここには存在しない。
次に待っている読み手がその評価を下す。
つまり、作品を中心に作品には二つの関係がある。
書き手と作品、作品と読み手。
というわけだから最終的に作品は読者の読む能力にゆだねられる。
ジェットコースターだとわたしが述べた作品をそれ以上のものとして読む読者がいても何の不思議もない。
作者がわたしの読み取れなかったものを作品に埋め込んでいる可能性があるし、知らず知らずに作品が何ものかをはらむ可能性もある。
ジェットコースターという比喩があまりに単純なものと読み取られた方もおられただろうからここに書き加えています。
作品は一人歩きするというのはそういう意味で、あなたの読む作品はあるだろうがそれはその作品自体ではないということです。
それでもわたしはエンターテイメントを目指す作品があることを知っているし、それをエンターテイメントと呼ぼうと思う。
もちろんそのなかに深いものが隠されていることもある。
それが「初秋」だという人もあれば「長いお別れ」だという人もいるだろう。
あるいはパトリシア・ハイスミスの諸作品だと言う人もいるだろう。
それが読み手のあなたに任された深い愉悦だ。
でもね、ほんとうにジェットコースターでしかない作品もあるのは、ほんとうのことだよ。
ラベル: 小説
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