2010年2月15日月曜日

物語の蔓延概略

 日本の経済復興は昭和25年にはじまった朝鮮戦争の特需景気によって勢いづき、昭和35年、池田内閣の「所得倍増計画」によってピークに達する。

 それを引き受け中学卒業者が労働力として引張りだこになるのは、昭和35年から45年あたりまでがピークだが、特に「もはや戦後は終った」と世界にその経済力を示す機会となった「東京オリンピック」のあった昭和39年には中卒求人数は171万人。
 それに対して就職者は前年の46万人を最高にこの年は41万人でその後は徐々に下がり始める。
求人倍率4倍強という慢性的な人手不足であった。

 この陰で地方は閉じられた系であった世界を崩壊させていく。
それは、それぞれの地方が八百万の神よろしく長い年月を経て育ててきた物語の崩壊でもあった。
 崩壊というよりは資本主義の地方への浸透が、それぞれの場所が長い間をかけて育ててきた物語を浸食したといっていい。
 その代わりに日本全土を別の物語が覆いはじめる。

 別の物語は、今へも続く。
 その物語は狡猾に我々が知らない間に我々の内に忍び込む。
 見えない存在が拒否できないとはこのことだ。

 ただ、強いフィルターを持って静かに忍び寄る物語を拒否したものたちと、とうとう物語に参加し切れなかったものたちが、その物語の存在を何の疑問なしに受取り物語の中で行われるゲームに勝利した連中の悪意にさらされて何かがあることを感じる。

 この蔓延する物語がいつ頃できたかは不明であるが、信用できる幾人かは日露戦争直後ではないかと指摘する

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