2010年2月4日木曜日

朝青龍引退

なるほど、そういう結果になったかと思う。

相撲というものは勝負の世界だからスポーツであるかのようにみえるが、同時に文化であり、神事でもある。
神事の部分は削ぎ落とされつつあるが、それでも土俵への女人禁制のような名残をみせている。

ま、詳しいことはさておき、この文化の部分で朝青龍は相撲界から押し出された。
昔、このブログでも書いたことがあるが、相撲の形式美は永く愛されつづけ、未だにことがあるごとに形式美を規範とする。
けれども、そもそも外国の人を相撲界に受け入れた段階で形式美は壊れたのではなかったのか。
日本人以外の人はその国ごとの文化を持ち込む。
これを遮断することはできない。

相撲の文化の面を維持するためには彼らの文化を遮断するしかないが、これは恐ろしく厄介な作業だし、わたしは遮断することを支持しない。

日本人以外を土俵に上げた瞬間に文化としての相撲は壊れ始めたのだと思う。

朝青龍には朝青龍の相撲があり、それは彼の中では正しい。
その彼の相撲感をああだこうだと歴史をあげつらい批判するのは、彼を土俵に上げたことと大きく矛盾するのではないか。

引退させたいなら引退させればいいが、その決断にはもう一度形式美を取り戻そうという強い意思が必要だ。
相撲を神事に向けて再出発させようという意思が、彼らにはあるのだろうか。
これほど多くの外国力士を抱えたまま。

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