声なき声
社会に届かぬ声のあるように自分の中にも届かぬ声がある。
届かぬ先はもちろん自分である。
この場合問題となるのは、発信者が誰で受信者が誰だということだが、最も注意しなければならないのは、ここで安易に「わたし」という言葉を使ってはならないことだ。
そもそも「わたし」とは何ものかという問いはあまり重要ではない。
ここでの興味は、そもそも「わたし」とは何処にいるかということだ。
それが昨日も書いたように自分自身の中に潜んでいるのならばいい。
たとえ、虜囚のみであったとしても。
けれども本当にわが身の中に「わたし」はいるのだろうか。
届かぬ先はもちろん自分である。
この場合問題となるのは、発信者が誰で受信者が誰だということだが、最も注意しなければならないのは、ここで安易に「わたし」という言葉を使ってはならないことだ。
そもそも「わたし」とは何ものかという問いはあまり重要ではない。
ここでの興味は、そもそも「わたし」とは何処にいるかということだ。
それが昨日も書いたように自分自身の中に潜んでいるのならばいい。
たとえ、虜囚のみであったとしても。
けれども本当にわが身の中に「わたし」はいるのだろうか。
ラベル: 日常 考察
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