2010年1月29日金曜日

ミレニアム

「ミレニアム」三部作が名作と謳われるのはその稀有な構造の規模からである。
ラーソンはこの小説でスウェーデンを延いては世界を描こうとした。
その世界にエンターテイメントの要素をちりばめたのは、明らかに才能と呼ばれて問題はない。

問題とされるのは、その情報収集能力と情報処理能力、分析能力だろう。
そのことを、ミカエルを使い進行させていくのだが、ミカエルの片側にリスベット・サランデルを置いたのがこの小説の端緒に違いない。

サランデルを思いつかなければ、この小説世界はまったく別様の貧弱なものになる。
サランデルがいるからこそ他のキャラクターも生きてくる。

この疲れ切ったパソコンではこれ以上深く論じるのは苦痛だし、そこまでのわたしの分析も存在しない。

いまは、「ミレミアム」三部作はその構造上の破格なスケールから名作と呼ぶのであって、一個のエンターテイメントと見ると間違うことだけを伝えておきたい。
その証拠に、「ミレミアム」は三部作を追いかけるに連れ、そのスケールを増していく。

それは一種の竜巻のような感じだ。

ラーソンは早く死にすぎたのかな。

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