2010年7月25日日曜日

雲峰先生と語る

上野の森美術館で雲峰先生の作品を眺めた後に雲峰先生と食事をした。
身に余る幸福。
その席上、雲峰先生が赤ちゃんの話をしたのがおかしかった。

赤ちゃんとは自分の思い通りにならないとぐずってしまう人間の比喩だ。
ぐずり方も色々だから赤ちゃんも色々だ。
わたしも困った赤ちゃんを抱えているが、雲峰先生もそうらしい。


雲峰先生の赤ちゃんはこうだ。
雲峰先生にどうして書道をやっているかを問うてくる。
致し方なく少し説明するが、相手はわからない。
それはそうだろう。
書の道に足を踏み入れたことのない人間が、書にどっぷりと浸かった人から何か聞ける僥倖は早々ないのである。
それがおわかりにならない。
雲峰先生が意地悪をして教えてくれないと、最後には怒り出してしまうらしい。
これには困ると、雲峰先生はこぼしていらっしゃった。

それを聞いて、まことにおかしかった。
どうやら赤ちゃんというのはどこにもいるらしい。

わたしの困っている赤ちゃんとは違うが、雲峰先生も大変である。
ご同情申し上げる。

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