2009年11月8日日曜日

介護が介護であるために

それは介護でなくても同じだろうと思う。
ホームレスはハウスレスでないところに生きるすべがある。
ホームがなくなってしまった人間に物権としての家など何の意味もない。

そういうことを介護でも考えたほうがいいだろう。
長生きさせることだけが介護ではない。
長生きのための心地よさはあるだろう。
こういう風な感じだと心地よく長生きできるのだろうなという他者の視点としての心地よさだ。

まあ、それが今この世間を覆っている介護のほとんどだろう。

それでいいのだろうが、ここに一つの大きな問題があって、それは毎度書くように人口の問題なのだ。
この日本は、一体どれくらいの人間がひっそりと静まり返り、ときどき落ち合っては飲みながら歓談していけるのだろうか、そういう人口規模の話だ。

そういう生活にどうすればたどり着けるだろうか?
わたしは、この国を考えるときにいつもそれを思う。

人が己の身の丈にあう人生を全うしていけるだけの国を作っていこうではないかと。
そのために不必要な長生きもいらないし、富の偏在もいらない。

さて、きわめて唐突だが、ここに大きなヒントとしてのひとつの例がある。
以下にあげる。


医師・中村伸一が運命の出会いをしたのは、17年前だった。
医師になって3年目、京都との県境にある福井県名田庄村(現:おおい町名田庄地区)の診療所にただ一人の医師として赴任した。
以来、住民たちの命と健康を支え、時には逆に支えられながら、医師として成長してきた。

私見ではあるが、ここには介護の原型がある。
長生きをしようとして彼らは介護を望むのではない。
この名田庄村で生を全うしようとして、この村での最後を望んでいる。
その手助けを中村さんはしている。

この日本の中に生きているなかで、われわれが誇るべき人物だろう。(彼は嫌がるに違いないが)

彼の人生を変えたのは、彼の誤診の後に親族が吐いたひと言だった。
「誰にでもある。お互い様だ」

誤診をめぐる裁判沙汰が横行する今、誰がこのような言葉を吐くのだろうか。
名田庄村にはそれがあったし、今もそれがある。
それを彼らとともに中村医師は守っている。

そういう風に生きていける社会をわれわれはもう一度取り返せるのだろうか。
ふと、そう思う。

彼の生き方は一冊の本にする価値がある。
その本の中には、静かな今の介護政策に対する批判とはっきりとしない雰囲気ではあるが人をなんと思っているのだろうかという、これもまた抑えられた嘆きが聞こえてくるはずだ。

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