2009年11月8日日曜日

洗脳

単なるテレビと言えども、日々癖のように流し続けていれば毒されていくだろうし、それを洗脳と呼んでいいのかもしれない。
映画はもっとそのたくらみがしっかりとしているのだろう。

もちろんそれ以外の見るに足るテレビ番組や映画はあるけれどもそれがどれかは選び取る能力がなければわからない。
選び取る能力をつけるためにはいいものを見ることに越したことはないが、この主張ってどこかおかしくはないかい?

だって、いいものがわかるためにいいものを見続けろだなんて。
そういう場合には先達が必要で、信頼できる人を持っていたいものです。

けれどもまあ、日々流されるテレビ番組は明らかに視聴者を見くびり、低俗へ低俗へと流れている。
たとえば、クイズ番組があるが、あんなものを見ておもしろいか?

クイズ番組の中で、おおっ、と思ったのは高校生クイズだ。
あの連中は一年に一回のクイズ番組のためにどれくらいの努力をしているのだろう。

総じて時の積み重ねを感じられない番組はおもしろくはない。
時は凝縮された時でもいい。
思いつきでは、ひと時の気散じに過ぎず、気散じで生きて死んでいくにはこの都会は無駄な虚飾が多すぎる。

そういえば、昔の田舎の気散じには味があったものだ。
消費文明が虚飾(いらないものを必要だと思わせる仕組み)を必要とし、その総体が都会と言ったことになるのだろうか。

砕け散ってしまえばいいのに。

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