2009年10月30日金曜日

一日一生

酒井雄哉大阿闍梨の言葉をこの本をぱらぱらと眺めながら接していると、いろいろと考えさせられる。
別に酒井阿闍梨は難しいことを語っているわけではなく、今まであったことを心の中にとどめ、それを語っているのだが、なるほどそういうものかと思ったりもする。

ただ一つぶれないのは生きていたほうがいいだろうということで、そのあたりはわたしにはまだ届かない話なので深くは語れないが、ああそうなのだろうなと思うだけである。

けれども、死とはまったく無縁かというとそうでもなくあの有名な千日回峰行は不退行で途中で投げ出すことは出来ないとさらりとしゃべる。
投げ出せないから、そのときは自害することとなりその準備として死出紐と宝剣を回峰行の間中、身につける。

死は身近にあるけれども急ぎなさるなといったところか。
思いつめて言えば、死を急がぬにはどのようにすればよいのかをやさしげに語っているのがこの本でほかには別に何も変わったことは書いていない。

その語りが教行一致を枕として浮ついていないものだからそういうものなのだろうと自然に思えるだけだ。

知の先行した分析に薄っぺらさが感じられるのはおそらくそこに行のないせいだろう。
そういうことを感じられる本だ。
もちろんのことここでもまた読者が試される。

思ってみれば、いつも試されるのは読者の側だなあ。

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