2009年11月4日水曜日

円楽

亡くなればだれでも名人ということはない。
落語界で名人と呼ばれる人はごく少なく、それを亡くなっただけの事で(怒られるだろうな、こんなことを書けば…)名人、名人とは片腹痛い。

円楽の師匠、六代目三遊亭円生は昭和の名人であった。
その円生の後悔は跡継ぎを作れなかったことだという。
つまり師匠の円生も円楽をまだまだと認めてはいなかったわけだ。

人間として?
そりゃあ、いい人だったに違いないし、ある意味、芸に打ち込んだに違いない。
けれども届かなかった。
なにが悪いかは素人のわたしにはわからない。

そのわからなさもわからない茂木健一郎という、うすらバカもいる。
それは、http://www.youtube.com/watch?v=TKjYi13QOPk
の8連続作を見ればわかる。

そして、この8連続作で名人と称される人間の気骨や容貌が見えてくる。

ま、そうは言ってはみても、ただこちらには見えてくるだけで、ご当人はそのようなこととは関係なく日々精進していらっしゃる。
それがいかにも頭の下がる風情なのであって、いやはや頭が下がる。

ところで、ここまで書いてはきたが、これは円楽氏の悪口ではない。
いつも語るところのマスコミの質の低さを揶揄している。

円楽氏を名人、名人と語っては円楽氏が可哀想ではないかといっているのである。

ついでに言っておけば、正蔵は下手糞である。
この人もあまり持ち上げるではない。

この間、プロスポーツを取るカメラマンと話していたら、マスコミはどうしてたいしたことのない選手を取り上げるかねえと嘆いていた。

言ってしまえば、マスコミなんざ、くだらんことしかとりあげない。
ところで、今の松井秀樹はいいねえ、泣けてくる。

大選手ではないかもしれないが、名選手であるには違いない。
そういうこともある。

だれか、大きな声で松井をほめないかねえ。

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