2010年2月16日火曜日

梗概から遠く離れて

ときどき粗筋のような小説をみかけるようなことがある。
それを読むことでその小説で書こうとしているだいたいのことは分かるが、細かな説得力や小説世界へ読者を引っ張り込む力はもたない。

小説は粗筋ではなく肉付きがほしいということだが、書き込むだけが梗概から離れる方向を保証するものと思うが、書き込みにも色々ある。

いま、「破壊」を読んでいるが、確かにこの小説は小説の骨格の上にドキュメンタリーの肉付きをもつ。
それが小説として成り立たせている。
内容のことは触れないが、小説としての成り立ちの確かさに頭が下がる。

さて、そこで、どういう方法に拠るにしても小説としてその場に立っているためには書き込みが必要なのだが、その書き込みが小説に対してどのような効果をもつかが分からない。
もちろん実際に書かれたものを読んでみて、ためつすがめつしてみればあれこれ思い浮かぶのだが、一般的にはこういうだろうというくくりをわたしは知らない。

知らないが、小説は梗概に終わってしまっては小説である大切な部分を書き残してしまっているのだという感じをもっている。

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