2010年4月20日火曜日

上から目線

「あなたは天空から人を眺める」
そういう指摘をされた。
ひとを上から目線で見るとの指摘だ。

それは痛かった。

上から見ているから反省したのではない。
上から見ている自分の目線を知らなかったことを反省したのだ。

自分の中に天空からの視点をもとうとする意識があったのは確かだ。
それが天空まで飛翔しているかどうかは別として、鳥のように高く舞いながら己を眺めていたいとは思っていた。
その視点が、己を撃つだろうことを願ってのことだ。

けれどもその目が、そのまま他人をも撃ったのではシャレにならないだろう。
いや、撃ってもよかったのだ。

撃つのならば、撃つ意志をもって、真直ぐに撃たねばならなかった。
その意志もなく他人を天空からの目線で撃っていたとしたら、それはひどい。
撃つべくに足る人だけを撃つべきなのに、唾棄すべき人間たちを撃ってどうする。

不意に石原吉郎の詩が思い出される。(何年ぶりのことだろう)

なぜ思い出したのだろう。
それが、自分の望む姿の部分にでも思えたのだろうか?


<花であること>

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ

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