2010年6月10日木曜日

恋愛論の中核をなすもの

わたしの恋愛論の中核のひとつは洗脳の解き方である。

誰かを好きになるのは、間違いなく洗脳である。
だから、永遠に続く好きはないし、簡単に好きが解けることもない。
特に、実際に相手と付き合っていなければ洗脳を解くのは難しい。

洗脳は相手に対する幻滅が必要だから、つき合っていなくては解けることはない。
また、解けるためには、長くつき合い、徹底的に幻滅する必要がある。
幻滅は、心底感じなければ意味がないのだ。
(このあたりテクニカルです)
ふらふらした恋愛では、しっかりした幻滅は訪れない。
幻滅もふらふらしているからね。

あほな女をだましやすい所以だ。

目の前のコップは割ればその存在がなくなるが、恋愛はそうではない。
恋愛における洗脳を解く道はひとつしかない。
叩き壊すことのできない恋愛では、その恋愛自身を他の恋愛で劣化させるしかないのである。
平たく言えば、別の誰かを好きになりなさいだ。
そうすれば、洗脳は必ず解ける。
ただし、その好きは、本当に好きでなくてはならない。

この本当に好きが難しいい。
このあたりのことはわたしの恋愛論に詳しい。

さて、本当に誰か他の人を好きになれば、いままで好きだった人が、何この男ということになる。
あるいは、何この女ということになる。
そして、世の中のたいていの男女は、「何! この男」であり、「何! この女」なのである。

いい人と恋愛してほしい。

わたしはといえば、それほど恋愛はしない。
恋愛はしないが、今日画期的な人とのつき合いが始まった。
詳しくは語れないが、ちょっと有名な男である。
そして何よりかっこいい。
いやあ、俺が見た中で一番かっこいいかもしれない。

そんでもって、うれしい。
かなり、うれしい。

この幸せ、突如訪れた。
神はわたしを見捨てなかったと思う。

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