2010年6月2日水曜日

いまどきの若者

ここには千度書いているので熟知されているだろうが、わたしの周りには素敵な青年と素敵な娘さんがいる。
それは、わたしの宝ですし、そのことがわたしの人生を豊かにしてくれています。

けれども、そのような若者に出会うのはとても難しいことです。

たまにこの若者はと思っても、どうしようもない干からびた精神を持つ娘さんだったり、妙な自己の矜持にこだわる青年だったりする。
それでは、使い物にならないし、わたしの周りの素敵な若者たちと出会わせるわけにはいかない。

そんなもんいらんわい、とおっしゃるだろうが、煎じ詰めれば人生は出会いの集積である。
大切にしてほしいと思う。

出会いを見過ごしてしまえば、一生出会えなくなってしまう人もいる。
それでは、まずい人もいる。

昨夜書いた「牛の鈴音」をいっしょに見た娘は、3年前の知人の花見の席で話しかけたのが最初だった。
そのときに、シャガールか何かの話をしながら、花見の席を離れて二人で散歩したのを覚えている。
いまでは、彼女と会えなければ、わたしの人生はなかったとさえ思っている。

もちろん、清いつき合いだし、わたしにエロいオヤジの発想はない。
そういう気分でいたら、はなから若者とは話せない。
心の底から真実を尽くす。
それだけである。

若者は、本気に弱い。
本気に好きになれば、相手が真摯に生きている限り反応してくれる。

器用に立ち回ろうとしたり、自分を磨こうと思っていない奴は反応しない。
そういう場合、わたしはそのまま野垂れ死んでしまえと思う。

もちろん、実際に野垂れ死ぬことはない。
けれども、たいていの場合は空虚な人生が待っているだけだ。
それでは、もったいないだろうとわたしは思う。

いつまでたっても、わたしと昨夜の娘のような逢瀬はない。

人生が一度しかないことを知っているのだろうか。
嘆息することもある。

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