美しさを保証するものは美しさではない
下世話な物言いをすれば、わたしは美人が好きではあるが、それは単に造形的に美しい人が好きであるというような単純なことではない。
端正な顔は、それだけでかなりの男たちを屈服させることができるが、「それがどうした」というのがその端正な顔に向かってのわたしの言い草である。
きれいなだけで何かできると思ってもらってはとても困るし、そのきれいさにわたしは屈服したことはない。
ただ、キミはきれいだねとか、キミの美しさはこうすれば映えると言ってみるだけである、暇つぶしに。
ここでは、さらに美しさを少しだけ追って、美しさには次の段階があり、その次の段階の美しさには凄みが加わることを指摘しておきたい。
この話もこれ以上、突っ込むのはこのブログではあまりにも色合いが違いすぎるのでやめにするが、進めるためには、「美しさ」の定義を丹念にしていかなければならないことを知っておいてもらいたい。
(これは、出し惜しみでもなんでもなく、この話を進めるには綿密な準備が要るし、その準備をこのブログのためにだけするのはとてもめんどくさいこととその結果生み出される文章が意外に面白くないという予想のためです、ごめんなさい。)
というわけで、わたしがあなたは美人だというときにただ端正なだけの顔立ちを指す場合と精神性を加えることであなたは凄みを持った美人になりますよ、というふたつの場合があるということをここではさらりと言ってのけたということにしていただきたい。
そして、凄みをもった美人になれる人は、「美人」になるように努力すべきだろうとわたしは思うし、単に整った顔立ちの美人には、その顔ならあほな男は十分対処できますね、あなたは幸せ者ですねと思うだけのことであることを知ってもらえるとうれしい。
言わずもがなのことだけれど、軽薄に美人をわたしが評価していると思われるのがいやでここにこのブログをアップしてみました。
多分夜中に目が覚めてしまったのが、災いしたのだろう。
こういう風に夜中にブログを書き始めると眠れなくなるんですよ。
だから、書かないほうがいいのだけれど、でも気になると書かざるを得ないというところもあってね、まったくもって病気だと思います。
ものを書くなんて、ろくなもんじゃないと思う。
とにかく薬物を投入したかのような興奮状態が強引に訪れてしまうのです。
わたしが、精神錯乱者だといわれる所以です。
なんか哀しいね…
端正な顔は、それだけでかなりの男たちを屈服させることができるが、「それがどうした」というのがその端正な顔に向かってのわたしの言い草である。
きれいなだけで何かできると思ってもらってはとても困るし、そのきれいさにわたしは屈服したことはない。
ただ、キミはきれいだねとか、キミの美しさはこうすれば映えると言ってみるだけである、暇つぶしに。
ここでは、さらに美しさを少しだけ追って、美しさには次の段階があり、その次の段階の美しさには凄みが加わることを指摘しておきたい。
この話もこれ以上、突っ込むのはこのブログではあまりにも色合いが違いすぎるのでやめにするが、進めるためには、「美しさ」の定義を丹念にしていかなければならないことを知っておいてもらいたい。
(これは、出し惜しみでもなんでもなく、この話を進めるには綿密な準備が要るし、その準備をこのブログのためにだけするのはとてもめんどくさいこととその結果生み出される文章が意外に面白くないという予想のためです、ごめんなさい。)
というわけで、わたしがあなたは美人だというときにただ端正なだけの顔立ちを指す場合と精神性を加えることであなたは凄みを持った美人になりますよ、というふたつの場合があるということをここではさらりと言ってのけたということにしていただきたい。
そして、凄みをもった美人になれる人は、「美人」になるように努力すべきだろうとわたしは思うし、単に整った顔立ちの美人には、その顔ならあほな男は十分対処できますね、あなたは幸せ者ですねと思うだけのことであることを知ってもらえるとうれしい。
言わずもがなのことだけれど、軽薄に美人をわたしが評価していると思われるのがいやでここにこのブログをアップしてみました。
多分夜中に目が覚めてしまったのが、災いしたのだろう。
こういう風に夜中にブログを書き始めると眠れなくなるんですよ。
だから、書かないほうがいいのだけれど、でも気になると書かざるを得ないというところもあってね、まったくもって病気だと思います。
ものを書くなんて、ろくなもんじゃないと思う。
とにかく薬物を投入したかのような興奮状態が強引に訪れてしまうのです。
わたしが、精神錯乱者だといわれる所以です。
なんか哀しいね…
ラベル: 日常 考察
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