上戸彩
上戸彩にも寿命が来た。
もちろん、わたしは彼女と付き合っていないのだから、この寿命は短いとしたものだ。
それでも、上戸という女の子はなかなかに魅力的で空間現出力に長けていたと思う。
けれども、いまは、その力が落ち始めている。
コレは、わたしが感じているもので、ほかのかたは自由に彼女のファンであり続ければいい。
わたしだけが、空間現出力を判断しているに過ぎない。
それも、あったこともない幼い娘に対してである。
わたしにとって上戸はたまたま空間現出力を持っていたと言わねばなるまい。
上戸以外にはいないかというとそうではない。
実際に会い、話し、歩き、手を握る中には空間現出力を持った人もいたし、今もいる。
空間現出力は、いわば、たまたまのものですが、それを守るには意思がいる。
どうやって守るかは、自分でトライ アンド エラー するしかないだろう。
その経験知は、いくつかの言葉になって残っている。
これからは、ぼちぼちとそういう話をしていきたいと思っています。
ふと今思うのは、空間を二人の間が現出するのはそう簡単な話ではなく、とても大切にその力を扱ったほうがいいということです。
では、どうやって、と問われるところですが、それはご自分でお考えください。
この問題を考えなくてもいい人は、とても幸せな人だと思います。
しばらくブログを書かなかったのは上戸のためではありません。
もっと近々なことのためです。
生きていくのは、本当に疎ましい。
あのカポーのように生きながらえている人間もいるというのに。
ラベル: 日常 考察
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