2007年9月8日土曜日

華厳の滝




以下のような報道を見た。
ポイントだけ述べる。

華厳の滝が台風のもたらした大雨の影響で豪快な姿を見せています。
滝の水源である中禅寺湖の水位は増し、8日の滝の水量は通常の20倍以上にもなっている。
この大放水はあと数日、続くということです。

ということだ。
ご存知のように華厳の滝は、日本三大瀑布のひとつであるが、
わたしはいまだ接見したことがない。
で、この機会にひとつ行ってみようかと思っている。

華厳の滝を間近で観覧するようになったのは、それほど昔のことではない。
明治33年のことなのだが、その3年後に投身自殺をはかったのが藤村操だ。

堅い岩盤をくり抜いたエレベーターがある現在では
その頃の面影とてないだろうが、
いまでも1月から2月にかけて滝は凍り、青き凍滝となるのだろうし、
6月にはイワツバメが滝周辺を飛び回っているのだろう。
わずかに何かを感じるかもしれない。

その自殺前に記した藤村操の「巌頭之感」を読むと古色蒼然ではあるが、
いかに古びてしまおうともその中にはあくまでもまっすぐな思いがある。
それは巧拙を論じる対象ではない。

藤村操が「巌頭之感」を傍らのミズナラの木に記したのは明治36年5月22日のことである。


悠々たる哉天壊、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学、竟に何等のオーソリチィーに値するものぞ。
萬有の真相は唯一言にして悉す、日く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。
始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。


藤村操、享年16歳。

漱石が、
予習してこなかった彼を叱責したのは
その直前だった。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム