上戸彩(システムに取り残されて)
昨夜から二夜連続で「輪違屋糸里」というドラマをやっているが、
これがなかなかよろしい。
浅田次郎原作のこのドラマは新撰組を扱ったもので
浅田にとっては新撰組ということでは「壬生義士伝」の次ということになるだろうが、そんなことはいい。
このドラマが、というより主役を演じる上戸がいいのだから。
その作品がいいのと役者がいいのとは違う。
さらに、この場合、上戸がいい、というのはさらに違う。
なぜなら、上戸はわたしに贔屓されているからだ。
このようなことを書くというのは一般的には恥ずかしいことなのだが、
ここはブログであるので、ひとりごちるわけだ。
それでも恥ずかしいのだが、いいだろう。
練習だ。
上戸はアイドル女優(この用語はしっかりと定義されてはいないようだ)
というジャンルに入るタレントである。
でもって、かわいい。
贔屓しているからそう見えるわけだ。
だが、ファンではないので、この場合のかわいさは、単なるかわいさとはすこし違う。
言ってみれば、関係のうまくいっている我が娘がかわいいようなものだ。
したがって、造形的に劣っていてもかわいさに大きな影響はない。
上戸はかわいいね、というときの意味は、上戸がいると楽しいねというほどの意味だ。
ところで、このアイドル女優の始まりだが、薬師丸ひろ子(1964・6・9生まれ)くらいからかな、と思っている。
大きな線としてたどれば、次が原田知世(1967・11・28)となるだろう。
で、それほど詳しくないので、だいたいのところを語る。
繰り返すが、アイドル女優の定義はおそらくなされていない。
私見では、観客が映画ではなく、彼女を見にいこうという意識になったとき、彼女がアイドル女優となる。
そして、このアイドル女優の女優としての力はあなどれない。
それは、いまもっとも期待される二人、
「蒼井優(1985・8・17)」「宮崎あおい(1985・11・30)」
を並べてみればいいだろう。
わたしとしては、蒼井優に可能性を感じるが、その話はここではしない。
ただ、ここで蒼井がいいというときの語りは恥ずかしいものではないし、まっとうな議論として展開できる。
なぜなら蒼井を女優として評価しているからである。
上戸とは違う。
ここで、先のアイドル女優とは何かに注意してほしい。
アイドル女優は本人がなるのではない。
アイドル女優はあくまでも観客が決めるのである。
うがった人間は違うというかもしれない。
仕組んだ人間が観客をそうやって洗脳するのだろうが、と思うかもしれない。
そう思って当然なのだが、いまのところ映画屋たちは映画を作ろうとしていて、
映画を撮るとき、アイドル女優にフォーカスを合わしていない。
したがって、彼らが意識してアイドル女優を供給しているのではないのだ。
いまのところは。(長澤まさみがはやその領域に入ったか?)
もちろん、いまの段階で何人かはアイドル女優の存在が大きな意味を持つことに気づき始めている。
だから、わたしは思うのである。
上戸、早く引退したほうがいい。
「フラガール」の蒼井に「あずみ」のおまえが勝てるわけがない。
歌は、さらに無理だ、などと。
この場合も演技力のなさや歌唱力のなさは、「上戸、かわいい」のわたしの気持ちになんら影響を及ぼさない。
なにしろ、わたしは上戸をえこ贔屓しているのだから。
その、上戸は早く引退したほうがいいと思っていた私が「ほぉー」と思ったのが、昨夜の「輪違屋糸里」。
驚いた。
これだけ、演技できるのかと。
まあ、いろいろ文句はあろうが、上戸としては上出来。
おそらく、役どころがみごとに彼女のイメージに合ったのだろう。
他の役ならどうか?
考える価値はありそうだ。
わたしなら、すこし考えてみたいところだ。
それでも限られた役しかできない上戸は、蒼井優や宮崎あおいに対抗するのはやはり難しいのだろうが、
ここ2,3年はがんばれるかもしれない。
引退は、それからでもいいか。
上戸彩、1985・9・14生まれ。
ちょうど同じ年に蒼井優と宮崎あおいの間に生まれた。
なにやら因果めく。
ま、とにかく、今夜は早く帰る。
早く帰って「輪違屋糸里」後半の上戸を見ることにする。
なにしろわたしの贔屓の上戸がでるのだから。
ラベル: 日常 考察
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