2008年8月13日水曜日

切れた鎖


田中慎弥の「切れた鎖」などを読んでいると唖然としてしまうところがある。
この人は、わたしが見えないものが見えているのだと悟らされる。

教えてくれるのであれば、少なからず、作者の目の一部を共有できた安心感があるのだが、「切れた鎖」くらいになると、見えていないものが何ものかがわからない。
多かれ少なかれ書くという行為には、そういった造形作業(見えていないものを形にしていく)が入ってくるのだが、こういった真剣な作品に出会うと、いい加減にものを見てきている自分に改めて気づく。

だからといって、何でもかんでも見えればいいものではなく、見えないほうがずっといいことはいくらでもある。

ただし、書き手にとって、ものが見えないのは致命傷だ。
逆に、見えてしまうことも致命傷になる。(書き手ではなく、生きていく人間としての)
川端などはその好例だろう。

晩年の荷風にも似たようなところがあって、(もちろん眺めていたものは別様であったに違いないが)荷風の晩年は外食が多く、特定の店にこだわっていた。
特に浅草のレストラン「アリゾナ」にはよく通い、窓際の席でビールとビーフシチューを注文するのがお決まりで、トマトケチャップがお気に入りであった。
席がふさがっていると、他の席が空いていても「今日は席がありません」と言ってさっさと帰ってしまう一種の奇人であった。
店の者は、それに気を使い、新聞紙を席に置いて彼のために確保していた。
また、自宅から程近い京成八幡駅前の料理屋「大黒家」には、死の前日まで通い、熱燗一本にカツ丼を必ず注文していた。

最期は侘び住まいののちの孤独死であって、腹をおさえたまま絶命している写真が存在する。
まあ、一種の野垂れ死にだ。

多額の遺産(2005年現在の貨幣価値で3億円以上)を残していたことでも話題を呼んだが、彼にとっては、どれほどの価値もなかったのだろう。

見るものは見た、それ以上何を望む、そんな感情だったのだろうか。

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