2008年9月12日金曜日

相撲


まずもって知っておきたいことは、もともと相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であること。
そして、神事であることには、沖縄地方をはじめ日本各地での「祭り」として「奉納相撲」がその地域住民によって、現在でも行われているということ。

つまりは、その出所を尋ねれば相撲は「神事」なのだというところである。

健康と力に恵まれた男性が神前においてその力を捧げ、神々に敬意と感謝を示す行為、「相撲」は「神事」であるところから、礼儀作法が非常に重視されている。
そのひとつとして、力士はまわし以外は身につけないし、土俵には女性を上げないなどがあるが、その名残は現代の大相撲にも見られる。(あくまでも名残として)
さらに特徴的なことは、古代から現代に至るまで「相撲」と皇室との縁が深いという事実であり、このことは天覧相撲があることとしてもよく知られている。

一体に相撲の起源は非常に古く、古墳時代の埴輪・須恵器にすでにその様子が描写されているが、神ではなく、人間の力士同士の戦いとなると、その最古のものは、垂仁天皇7年7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまひとらしむ」または「すまひ 」と読む)となる。
これは日本書紀のなかに見えるが、この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、宿禰が蹴速を蹴り技で脇骨と腰を折って殺したとされていて、少なくとも現代の相撲とは異なるものであったらしい。
その当時、相撲は武術であったらしく、そのためこの戦いは柔道の事始ともされている。
そして、この戦いの結果として宿禰は「相撲」の始祖として祭られている。

ま、といった薀蓄は別にして、相撲が神事として始まり現代でもなお、イメージとしての相撲には色濃くその香りが残っていることに注意したい。

さて、高橋義孝という名高いドイツ文学者がおられたが、彼は相撲好きでもあり1964年横綱審議委員会委員、81年には委員長にもなっている。
この人は、相撲が神事であることをよく知っており、当時、圧倒的な実力を持っていた小錦を横綱にしなかったことで有名である。

スポーツであれば横綱になっていた小錦は相撲が神事であることによってそれを拒否されたのであった。

あの時代、良くも悪くも相撲の伝統な根強く流れていた。

今日、多くの外国人力士を呼び寄せ、そのことで相撲をただの興行として眺め、金ばかりを計算するようになっていったのは、高橋氏以降のことであろう。

「相撲」が神事であるという考えはわたしにもあり、その意味でもはや「相撲」が日本から消え去ってしまった(ほぼ消滅してしまった)とわたしは思っている。

大麻問題や朝青龍の問題の根底には、いつも神事である「相撲」のイメージが横たわっている。
しかし、もはや神事である相撲は放棄されている。
外国人力士をかくも多く日本の相撲界に入れておきながら、神事も何もあったものではない。
相撲はすぐれて強く日本の神事と結びついており、その意味で他国の力士を入れることは、相撲のスポーツ化であり、従来の「相撲」の否定となってしまうというくらいは、認識しておくべきことだろう。

それをいまだに「横綱というものは…」「相撲の伝統は…」などとなにを騒いでいるのかと思う。
都合のいいように外国人力士を利用して金儲けを続けてきた今の興行相撲に「神事」の面影はない。
それをイメージだけ自分の中に大事にしまいこみ、外国人力士を批判する。
ばかげたことだと思う。

批判するのはかまわない。
しかし、その批判はスポーツマンに対するものであってほしい。

「相撲は他のスポーツとは違う…云々」

馬鹿ではないかと思う。
それはすでに消え去ってしまったものではないか。

そういう認識なしに部外者としてただただ騒いでいる。
当事者は拝金主義者と化している。

そういう連中はいざとなれば「大和魂」とか「大和撫子」とか「桜の花の潔さ」とか言い出すのだろうか。

まず現実がある。
今の相撲に神事の要素を要求できるなどと、どこの馬鹿が考えるのだろうか。

日本にはすでに「相撲」はなくなってしまっているのだ。

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