2008年12月8日月曜日

今後迎える不況

今後迎える不況に関しては、(環境問題がすでに登場しているように)今まで存在していたエンドユーザーが以前と同じように再び登場し、それが登場し続けるかどうかの疑問が潜んでいる。
今回の労働者のかく首の槍玉に上がっている自動車産業の大きな問題点はもはやそれほど車は売れないのではないかというところにある。

だからエコ自動車だ燃費のよさだといい始めているが、従来どおりの売り上げは果たして復活するのだろうかという問題がある。
それを加味してのかく首である。

もちろん、それは社会問題としては大きな問題で、政府が手を延ばすべき問題としては残る。

しかし、それとエンドユーザーが戻ってくるのか、それとも社会構造自体が変わっていかなければならない時代になってきているのかとは別問題だ。

そんなことは人口爆発ひとつとってみてもわかるだろう。

地球レベルではこの人口をどう扱っていいのかは、もはや手に負えない大問題となっている。
しかも南北問題としてとらえれば、環境問題も単一には進まないだろうし、排出権の売買は新たな今後の大きな商売にもなっていくのだろうし、我が日本はそこに大きな金を投資するかもしれない。(それがまったく時代に逆行する行為であるにもかかわらず)

とにかく大きく世界が動こうとするときに過去の技術が無効になることはありえる。
車に乗らないのに車は必要ない。(よって、車の部品も必要はない)

ま、ことは複雑で、国鉄が見捨てた貨物列車がまたいまや見直され始めている。

今後どうなるのかはわからないが、もとのような消費社会に戻らなければならないなどとは考えないほうがよいとわたしは思っている。
貧乏がいいとは思わないが、貧乏にも程度があり、それを貧乏と呼んでいいものかどうかはしばし躊躇することがある。

また、町工場の復活に不安を持つのは、すでに時代が動こうとしていて、その不安を解決するのは小手先の問題ではなくなっているのではないのかと思うからである。(小関さんを深く愛しながら…)

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