2008年12月8日月曜日

時代小説

現代小説も似たようなところがあるが、時代小説はさらに「型」というものがあり、この「型」から抜け出すのがなかなか容易ではない。

そこで、それを逆手にとって、シリーズものとしていくやり方が登場する。
池波正太郎氏あたりはその名人だろう。
もはや「型」を破るどころか「型」に入っていく楽しみを読者に与えている。

しかしシリーズものにしたからといってかならずしも成功はしないのは、やはり最終的に作者技量がかかわってくるからだろう。

わたしの愛する藤沢周平にもシリーズものはあるが、それを延々と続けることはない。
だから、彼において「型」を破るというのはなかなか大きな問題だったらしい。

というわけで、あるところに藤沢氏は感慨深げに短編のねたというのは難しいもので、それを過去の何かから探し出してくるのはあまりうまくいかないと書いている。
それはすでにその過去の何ものかが相当の出来になっているからだという。
で、彼は現実にまわりにあることをヒントとしてそれを膨らますという。

膨らますわけだからそれがうまくいくともいかないともなんともいえない。

そういうところが短編にはあるというのだ。

ラベル: