2008年12月14日日曜日

情報

「情報」と、単にコトバとして発してみるが、こいつが今の世の中、大きく動いている。
インサイダーに代表されるように他の知らない情報を知っていることで、大きなアドバンテージをとり、その結果莫大な金をもうけることも出来る。

一方、もう少し細やかに書いて「情報収集能力」と「情報処理能力」とすれば、収集された情報のうち稀少で金になるものを選びとることが処理能力のうち最も経済的には基本的なものだろう。
もちろん、これは、それほど質の高い作業ではない。

収集した情報を取捨選択しながら再構成し新しい情報に変質させていく処理能力こそ個別的なものであり、個別的にユニークで敬愛すべきものである。

そしてさらに踏み込めば、この世には、ほぼそのままの情報と誰かが加工した情報がぐじゃぐじゃになって渦巻いている。
これらのすべてを処理できるならばすべての情報を持っているにこしたことはないが、処理能力を超えた情報は逆に自分の無能力さを知らしめる側に立ち、よい結果を生まないことも多い。

人は必要な情報をしっかりと握っておけばよいのだ。

そして、その必要なものかどうかは自分で決めるがいいと思う。

でないといやな思いにぶち当たることもままある。
いまや情報も金と同じようにアドバンテージを持っている人間にしか回らなくなりつつあるからである。
そういう風にしないのが、マスコミなのだが、さてどうだろうか。

情報の信用できる出所をマスコミやインターネットに託し、必要な情報を選び取り、考える。
それがいいのではないか、と思っている。

あるいは情報収集にまわす力をすべて放棄し、昼寝でもしているのがずっといいのではないかとも思う。

とにかく、この世は情報の渦。
自己の情報処理能力をよく吟味し、情報の渦に巻き込まれないようにしたいではないか。

それともオレが、半年で倍にしてあげるからといえば、1000万円ほど貸してくれるだろうか?

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