2008年12月9日火曜日

パーフェクト・ワールド


映画の話題をもうひとつ。
「パーフェクト・ワールド」イーストウッド監督、ケビンコスナー主演
泣かせる映画である。

パーカーの「初秋」に主題が似ているところがあるが、こちらは映画だけに過剰である。

映画には小説にない要素が多く入っており、それは音楽であったり、SEであったり、映像であったりだが、そのため観客に過剰に飛び込んでくる。
さらに作り手もその過剰に麻痺してくるし、観客も麻痺してくる。
そのため過剰をよしとする風潮があり、この映画のラストもそういうきらいがある。
にしても佳品といっていい作品だ。

個人的には「初秋」が好きだが、媒体も違うし、わたしの過剰嫌いという趣味の問題なのでこれを読んでおられる方は気にせずともよいし、ぜひご覧になればいいと思う。

それよりも何よりもこの作品が観客に教えてくれる痛みに目を向けておきたい。
いい作品はどのような媒体であれこの「痛み」があるものだ。

観客は、読者はそれを受け取りその痛みと付き合うことで、何がしかのものを得ることがある。
それが作品に接する醍醐味だとわたしは思っている。

「痛み」とは何か、というのは難しい質問だが、たとえば安直な作りで言えば、愛するものが死んでしまうというラストにもっていく昨今流行の「死に落ち」といわれるものだ。
しかし、あの「痛み」は浅はかな「痛み」で観客に何も届けることは出来ず、ただ疑似体験のような一瞬の悲しみに浸らせてくれるだけだ。

ここではそうではない「痛み」があることと、あなたがそういう作品にであって衝撃を受けたときああこれがあの男が「痛み」と言っていたものかとわかっていただければ僥倖だ。

あなたがいい作品に出会うことを願っています。

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