2009年11月8日日曜日

自己の目と他者の目

ヤンキースがワールドシリーズで優勝を収めたあとに松井秀樹に対するインタビューがあった。
このときのインタビューは、それほど悪いものではなかった。

そのなかで、今シーズン、正確には先シーズンから引きずった松井の怪我、故障に伴う苦労話に矛先が向かった。
このとき、松井はワールドカップのMVPを獲得しており、回顧談として聞くのにちょうどいい雰囲気もあったし、悪い質問でもなかった。

要はインタビュアーは、
「大変だったでしょう、苦労したんでしょう?」
と聞き、
松井は、しばらく考えて、
「…大変なことはなかった。ただ野球がしたいと思って努力していただけだったから」

こんな風に語った。

ここに松井とイチローの差を感じる。
以下述べるのは、両者の差であってどちらが上だとか上等だとかいう話ではない。

松井には常に他者の目、それはおそらく上質なファンの目が意識されているのだろう。
そういった目に包まれながらこの人は野球を続けてきたのだなと感じた。

同じ質問にイチローは松井のように答えなかっただろう。
その質問をつまらない質問と感じただろう。
イチローは武芸者であり、己との対話の中で自己を形成していく。
苦労とか大変は、わたしの問題であってあなた方に話す必要はないだろう、もっと言えば、そんなことは当たり前のことなんですよといったところだろうか。

もちろんイチローとてファンに対する感謝はあるだろうが、それは観客としてのファンだ。
自己に対して研ぎ澄ませ続けてきた人間と他者の目を自分の中にまで取り込んできた人間の差は、どこか離れていながら、ああ、そうやって生きてきたのか、そうやって生きていくのかと思わせた。

もともとわたしはイチローの贔屓だし、あの男の生き方がイヤではない。
そのわたしが、もう一度書いてみたい。

松井秀樹には幸せな野球人生がこれからも続いていってほしい。

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