2010年2月17日水曜日

漂いつづける作品

城戸朱理氏のブログに

今回は部分的に手を入れるのではなく、全体を新たな目で見直したかったため、全作を原稿用紙に万年筆で手書きすることにしたのだが、これは、私にとっても、身体的に作品を生き直すような、新鮮な経験になった。

とある。
新刊の詩集作成に対するコメントである。

わたしの今関わっているDIR EN GREYというバンドのヴォーカリストはライブのときに歌詩を変えて歌ったりする。
その場の空気に合わせて歌うだけで、歌詩を辿ってみても意味の体をなしていないと言う。
この場合は、CDは出したものの、いつまでも漂いつづけている。

詩集の場合は版を重ねることはあっても、大きく修正することは多くはない。
バンドのライブの数を考えれば、音楽との差はある。
文章は良くも悪くも定着するものと考えていいだろう。

けれども音楽は流れる。
CDとして定着はするが、それは一応の定着であって、ライブがある限り漂い、流れつづける。
それが、大きな音楽の特性かもしれない。

けれども以下の逸話を思い出すとき、文学も作者の中では漂っているのかもしれないとも思う。
逸話はではこうなっている。

川端康成の自死後、『雪国』の手直しを思わせるように、その書き出しを書き留めた原稿用紙が机上にあった。

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