2010年6月27日日曜日

人間関係の河

出会って、つき合って、別れる。
出会って、つき合って、つき合い続ける

人間関係の川の流れはこのようなものだろうか。

わたしは、このなかの「つき合い続ける」に怠惰の臭いをかぐ。
本当にその関係を続けていいのかという切迫した思いを欠くつき合いに時として嫌悪感を抱く。
まあ、病気と言っていいと思う。
であるにしてからにして、わたしの人間関係の河は以下のようになる。

出会って、つき合って、別れる、またその人と出会って、つき合って、別れる、またまたその人と出会って、つき合って別れる、またまたまたその人と…

エンドレスである。
その流れの中「別れる」は決定的でなくなっていき、ただ「別れる」の持つ緊迫感だけが関係性の中に残る。
こういう関係をわたしは好むが、この関係性を結べた人間は少ない。
老若男女を分けずに数えれば、…おお、随分の数になるではないか。

わたしが自分を幸せものと思う所以である。

けれどもわたしの歳の数の半分以下と言うことは、3年に一人出会うかどうかということだ。
幸いなことに、今年も武蔵美に出会った。
出会いかけて崩壊した人間関係もあるが、あきらめずに待ち続けてみよう。

昨夜も一人と別れた。
これとはもう何回も別れているが、いつものように最後だと自分に言い聞かせている。
この関係性はどこへ行くのやら。

出会って瞬く間に消滅しかかっている関係性もある。
この関係性だけは、繋ぎとめたく思っている。
関係性への片思いだ。

狂乱の中にわたしがあるのはこの人間関係の河にいるからだろうと思う。
「つき合い続ける」を暗黙裡にそして無批判に認め合う関係性を望むのなら、わたしは除外しなければならない。
恥じらいもなく言ってしまえば、わたしの人を見る目は、

「いつでもキミに恋していたい」

だ。
恋することのできなくなった対象には過激に迫る。

考えてみれば、多くの人が去っていくはずである。
それでも、この流儀を押し通すのは、まだ見ぬキミに出会うためだ。
あそこにいるキミを傍に置きたいからだ。

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