2010年6月19日土曜日

知ってしまった困惑

知らないでいることは実に心地よい。

知らないということを荒っぽく言えば、他の可能性に目をつぶると言うことだ。
大きく言えば、日米安全保障条約に頼る以外にこの国の平和は維持できないと信じることが出来る。会社で言えば、自分たちのやってきたこと、やっていこうとしていることは正しいと妄想できる。
この女以外には自分にいないとたわけたことを思う。

これらすべてを知ることはくつがえしていく。
逆に知らないでいることは、他の選択肢を知らないでいるのだから悩むことはない。
しかも、自分の主張を恥知らずにも大声で叫ぶことも出来る。
だって、本当に正しいと思っているのだから。
なんとも迷惑な。

に対して、知ることはあらゆることを不安に落とし込む。
それを
「知ってしまった不安」
と呼ぶ。

雲峰先生、ちゃんと説明できずに悪かったね。

で、問題だ。
そういう不安を呼び込むことを知っていながら、何故に知ろうとするのか。

この答えは難しいが、結論だけは知っている。、
それは、

「知りたかったから」

なのです。

ふむふむ、業ですな、それは。

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