2010年6月16日水曜日

わたしから逃げ出した人々

わたしから逃げ出した人たちがいる。
一人は、わたしの朝が早すぎると言い、一人はわたしのメールが頻繁すぎると言った。
噴飯ものである。

わたしは、あなたたちのような人を多く知っている。
あなたたちはわたしの生の声を聞きたくないだけだ。
そうであればそう言えばいい。

わたしに向かって、こういうのだ。

「あなたは、鬱陶しい」

そうすれば、なるほどとわたしは思う。
ナニ、初めてのことではない。
そんなことは頻繁に起こる。
いざとなれば、相手の内部を遠慮会釈なく抉るわたしの決意と言葉の端々は、とてもいやなものに感じられるのだろう。
だとすれば、わたしにどこか遠くへ行けという主張はきわめて穏当な判断だと思う。

けれども自分を正当化してもらいたくはない。
わたしを必要とする人は、早起きにもかかわらず、メールの多さにもかかわらずつき合おうとしてくれる。
おそらく、わたしが誠実だからだと思う。
わたしにはそれしかない。

あなたたちがわたしから離れるのは自由だ。
それがあなたたちの人生だ。
けれどもそれを正当化しないでもらいたい。

あなたたちは、わたしを嫌いだから去るのだ。
あなたたちはわたしがあなたたちの人生にまで誠実であろうとすることが鬱陶しいのだ。
それは、あなたたちが自分の人生に向き合うことをやめているからだと思う。

あなたは、そうやってそこに死んだように生きていればいい。
それを「生き続ける」と人は呼ばない。
「生きた振りをしている死人」と呼ぶ。

願わくば、今後の生き方でわたしの今の認識を覆してほしい。
そのときは、あなたの生き方に拍手を送ろう。
わたしとわたしの仲間からの拍手だ。
逃げ去った人間の素晴らしさへの拍手だ。

われわれはそのくらいには優しい。
われわれは、われわれの正当性を君たちのように高らかに述べはしない。
その代わりこうつぶやく。

君たちが、心の底から嫌いだ。
吐き気がする。

過激だね、武蔵美のキミ。
だめだよって叱ってね。

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