2010年6月16日水曜日

朝の散歩

朝の散歩の際、ipodは使用しない。
ipodは、外界を強引に遮断し自己内に世界を形成してしまうのに効果的だが、その分生きている世界そのものとの交流を捨ててしまうところがある。
内なる閉じた系を保持するための器械なのだと思う。

ipodは、もちろん多くのときに助けになるだろうが、同様に自然の匂いや風や音も十分にわたしを励ましてくれる。
だから、散歩のときにipodは使用しない。

そのわたしが見るに、耳に人工的な音を送り込みながら歩いたり、ジョギングしたりする人の数は多い。
あれは、大なり小なり外界との遮断を意味するもので、わたしの歩く玉川上水べりで耳に人口の音を送り込む動作は少し違和感がある。

もっとも、そう感じるわたしと彼らの間に大きな溝があり、彼らはわたしの知らぬ恐ろしさからああやって逃げているのかもしれない。
ただ、あの行為を自然を味わう感性の欠如と意味づけないほうがいいような気もしている。

早朝、自然の音を聞きながら歩くというのは、気持ちのいいものなのだけれど…。

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