習慣である読書
人の多くの行為は、習慣によって成り立っている。
そう考えていいだろう。
だから、初期設定をしっかりしなければ、無様な生活に終始してしまうことになるのは不思議なことではない。
あんな生活をしてなどと顔をしかめて見せるのをわたしは好きではない。
人間観察に関して幼稚だからである。
人は簡単に習慣に毒される。
わたしが、このところ読書時間が極端に短いのも仕事をしているという愚にもつかない理由を正当と感じ、その理由に逃げ込んでしまっているからだ。
早晩大きなしっぺ返しがくる。
そのしっぺ返しとは、この生活が習慣化されて読書がわたしの人生からいともたやすく放擲されそうであることを言っている。
わたしの読書もまた習慣である。
逃さぬように大切に習慣を形成し続けなければ、読書を楽しむことはできない。
このところ、読書時間の少なさに危機感を覚えている。
それは教養主義の…とかいう議論はせずに、いまはただ読書がしたい自分の胸のうちにある欲求のひたむきさがどれくらいなのかを確かめる作業をしたく思う。
きわめて奇妙な結論なのだが、そのためには、まず読書をしなければならないのだ。
笑ってしまうな。
読書時間が少ないと感じることが、読書の習慣をわが身に引き戻すということ、つまり、読書の復権となっているのだ。
このロジックでは。
そう考えていいだろう。
だから、初期設定をしっかりしなければ、無様な生活に終始してしまうことになるのは不思議なことではない。
あんな生活をしてなどと顔をしかめて見せるのをわたしは好きではない。
人間観察に関して幼稚だからである。
人は簡単に習慣に毒される。
わたしが、このところ読書時間が極端に短いのも仕事をしているという愚にもつかない理由を正当と感じ、その理由に逃げ込んでしまっているからだ。
早晩大きなしっぺ返しがくる。
そのしっぺ返しとは、この生活が習慣化されて読書がわたしの人生からいともたやすく放擲されそうであることを言っている。
わたしの読書もまた習慣である。
逃さぬように大切に習慣を形成し続けなければ、読書を楽しむことはできない。
このところ、読書時間の少なさに危機感を覚えている。
それは教養主義の…とかいう議論はせずに、いまはただ読書がしたい自分の胸のうちにある欲求のひたむきさがどれくらいなのかを確かめる作業をしたく思う。
きわめて奇妙な結論なのだが、そのためには、まず読書をしなければならないのだ。
笑ってしまうな。
読書時間が少ないと感じることが、読書の習慣をわが身に引き戻すということ、つまり、読書の復権となっているのだ。
このロジックでは。
ラベル: 日常 考察
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