2007年7月30日月曜日

山之口獏

未開の女のことを書いていたらば、
ふと、あの山之口獏の亜熱帯の詩を思い出した。

うろ覚えだが、少し後に登場する以下のような詩だった。

そして、その詩を思い浮かべたとき、自分の「未開の女」という文章の貧相に思い至る。

思いつきで書いた文章などは、書いた先から腐っていく。

あらためて、山之口氏の詩を目にすると、
その世界の広さを目の当たりにする。

まずもってわたしの文章には広さがない。
小さな景色しか見ていないからだ。

肉眼で見えるものは、さほど広くはない。
肉眼だけで見えるものに浸っていてはだめだ。

たまには煙草にでも火をつけて、遠いかなたに思いを転じてみる。

そのとき、わたしに視覚はあるか?
あるいは、資格はあるか?
辺りを見回すことを許される視覚=刺客はあるか?

このことは未開と亜熱帯がつながって思い馳せたことなのだが、
その結果、わたしの前に登場した「会話」という作品の中の女の存在感やその魅力は
わたしから何と遠いところにあるものなのだろう。

めしいてしまいたいような気分だ。



会話

お国は? と女が言った

さて 僕の国はどこなんだか 
とにかく僕は煙草に火をつけるんだが 
刺青と 蛇皮線などの聯想を染めて 
図案のような風俗をしているあの僕の国か!
ずっとむこう

ずっとむこうとは? と女が言った

それはずっとむこう 日本列島の南端の一寸手前なんだが 
頭上に豚をのせる 女がいるとか 素足で歩くとかいうような
憂鬱な方角を習慣しているあの 僕の国か!
南方

南方とは? と女が言った

南方は南方 濃藍の海に住んでいるあの常夏の地帯 
竜舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が 白い季節を被って寄り添うているんだが 
あれは日本人ではないとか 日本語は通じるかなどと話し合いながら 
世間の既成概念達が寄留するあの僕の国か!
亜熱帯

アネッタイ! と女は言った

亜熱帯なんだが 僕の女よ 眼の前に見える亜熱帯が見えないのか! 
この僕のように 日本語の通じる日本人が 即ち亜熱帯に生れた僕らなんだと僕はおもうんだが
酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように 
世間の偏見達が眺める僕の国か!
赤道直下のあの近所

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