2007年9月12日水曜日

すき焼き男の悲劇


久々にテニスを始めたものだから、手先でボールを扱おうとしてしまう。
そういう猪口才なまねをするとひじに負担がかかるもので
ご多分に漏れず、テニスエルボーと相成った。
「すき焼き男の悲劇」という魅惑的なタイトルを思いついたのだが、
しばらくは完成しないかもしれない。
これは困る。
楽しみがなくなるではないか。
などと思案投げ首である。

上戸の顔の小さな傷のことを書こうと思ったが、あとまわしにする。
わたしはそのキズを「上戸の顔の小さな星」と呼び、それを上戸に関する小論のタイトルにと考えている。
すべては中森明夫との話がついてからだ。
さらに、わたしが上戸を個人的に贔屓なのはすべてその「小さな星」のせいだということを付け加えて、この話題を去りたい。

上戸のことを思うと胸が痛いぜ。


さて、酒で痛みを忘れさせたひじを使い、キーボードを打とうではないか。

人は人を愛するようにできていないのだよ、
と言ったのはわたしだ。

なかなかの言葉だが、うそー、信じられない、と叫ぶあなたがいるだろう。
それは、あなたの愛する能力が乏しいからだ。
久間じゃないが、このあたりのことは、しょうがない。

そういえば、安倍が止めたね。
ストレスを感じない仕事だと考えていたのかね。
恥さらしが。

人が与件として自分のうちに持ったのは、愛されたいという欲望だ。
このことの言及は避ける。(R.D.レインを読んでみればいい。信頼できるひとだ。)

愛することを人は学ぶ。
学ぶことによって愛することを知る。
したがって、あなたとわたしの人に対する愛し方は違う。
愛する能力のない奴に、
ちゃんと愛してほしいなどと、ゆめゆめ思うな。
愛するには能力が要る。

そして、残念なことにさらにその先にもうひとつの不幸が待ち受けている。

ある日、すき焼き男は、愛する女とすき焼きをいっしょに食べようとて
すき焼きの準備万端整えて、
愛する女のドアの前に立った。
女はいなかった。
仕方なしにドアの前に立ち続けるすき焼き男の前に女が現れたのはもう2時間もたとうかというころ。
すき焼き男は女が感激してくれるだろうと思っていた。
挨拶代わりに何か言おうとしたすき焼き男に、女は言下に言い放った。

ここにずっと立ってたの。
ばっかじゃないの。
周りの人に何思われるかわかんないんだからね。
ほんと、ばっかじゃないの、早く帰って…、早く帰ってよ。
ばか。
二度とこんなまねしないでよ。

無残にも、愛はかように伝わりにくい。

せっかく得た愛する能力もそれほどの威力は発揮しないのだ。
それがどれほど真摯な愛であっても他者へ無条件に伝わることはない。
他者がそれを受け入れるのは、その相手があなたを好きなときだけなのです。

かくして、すき焼き男は退散の憂き目に合うのだが、
愛を届けるのはかように至難の業なのである。
愛する能力、愛を届けるには、いくつかの課題を持ちながら、
すき焼き男の明日は続いていくのです。

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