日本人の劣化
少し前の本だが、「なぜ日本人は劣化したか」という本があって、現在われわれの目の当たりにすることが、しっかりと書かれている。
「病識」という言葉を知るだけでも、ざっと目を通す価値のある本だろう。
この本の最初は衝撃的だ。
以前800字が週刊誌のひとつの記事の目安だったが、いまは200字だという。
要は、今年の春はこれがはやりだとか、最近こんなことが起こっているだとか、北島康介はすごいだとか、それだけを読者はほしがり、その背景や理由を必要とせず、背景や理由を書き込めば「かったるいね、この記事」という具合になるという。
ほしいのは、標語なのだというわけで、小泉何某の政治家としての成功の秘訣がよくわかる。
しかし、いまだに背景や理由こそが重要だと思っているわたしには眩暈がするような話で、今後この国で生きていけるのだろうかと思う。
確かに飲み屋の会話でも、それ以上立ちこんだ話を聞こうとする人間は少ない。
なるほど、標語がほしいだけだったのか。
ならば劣化といってもいいか。
これまた、少し前になるが「イニシエーション・ラブ」という小説がちょいとヒットした。
確かにあの小説の中でも「通過儀礼としての恋愛」の持つ意味は深く掘り下げられなかった。
あれが、現代だとしたら、わたしにはこの時代があまりにも遠いところにあるような気がする。
ラベル: 社会
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