立川談志
「MXテレビ」で久しぶりに談志の落語を見た。
声が枯れていて、大変そうではあったが、できは家元自身も納得のできる「やかん」であった。
こういう「やかん」を聞くとほかの「やかん」は聞けなくなる。
工夫の具合が違うし、噺に入れる材料の仕入れの具合が違う。
それをもってどう料理するかの具合も違う。
あの男は露悪趣味だからいろいろと解釈されるが、演芸に対する真摯さは人後に落ちない。
なるほどという芸も持ち合わせているし、他の芸人に対する批評眼の確かさもある。(確かに好みの入りすぎている場合もあるが)
それに何より、聞き手にこびない。
聞き手にこびないから芸の質は下がらない。
こびずに良くぞここまでやってきたと思う。
談志がときに自分の客を自慢するのは、こういう自分についてきてくれた人々への感謝の念の複雑な表現であろうと思う。
おそらくは、早々長くはない談志、もう一度生できいてみたい気がする。
ラベル: 演芸
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