2008年8月14日木曜日

続・日本人の劣化

「包摂型社会」から「排除型社会」への転換を論じたのはジャック・ヤングに詳しいが、この「排除型社会」というのがなかなかに厳しい社会で、「寛容の劣化」をもたらしたのも基本的にはこの「排除型社会」のありようである。

「自己責任」などは象徴的なことばで、他者(多くは弱者なのだが)を排斥するのにまことに都合がよい。
細かい議論は避けて、先を急げば、この「排除型社会」のありようはわれわれ個人のなかにも侵食してきている。
つまり個人的な内部に「寛容の劣化」をもたらしている。

そのように(一切許すことなく)子供にあたりはしなかったか。
そのように親しい人にあたりはしなかったか。
そのように誰かにあたりはしなかった。

もともと人間は間違うようにできていて、その間違いから立ち直る(戻ってくる)弾力性を有していたのだが、この弾力性は社会の(つまりは、あなたの)「寛容」を助けとする。

間違ってもいいのだ。
問題は、その間違いから立ち直るときに手を差し伸べてくれる誰かが、社会があるかどうかだ。

「寛容の劣化」は、そのまま他者の排除を意味し、あなたの周りから仲間をなくしてしまう。
なくした仲間は、下層に流れ透明な見えない存在となり、あなたの周りは、下層に流れることを拒否した、この世の流れに準じ、「排除型社会」を無批判に謳歌する人々で満たされる。

あなたがそういう中に入ってはほしくないとは思うが、止めることはできない。

人は人非人になる権利も持っている。

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