2008年10月21日火曜日

ケータイ小説

「あたし彼女」というケータイ小説を読んでみた。
これがなかなかのものなのである。

小説というジャンルでは何でもやってもいいことになっているが、このケータイ小説は「小説」と名づけられているが、どうやら小説ではない。
それは、読者と作者をつなぐ媒体(携帯電話)の可能性を示している。

とにかくセンテンスはきわめて短く、行間は自由自在。
その意味では視覚を十二分に意識した作品で、マンガに近いものを感じる。

それに電車の中で聞いたりする若者コトバに対する反感が消えていく。
どの作品でもというのではないけれど、この作品に関しては若者コトバが魅力的だ。

こういうコトバを使って人との関係を作っていき、世の中を見ている人々に脅威を感じる。
その脅威は一種の憧れでもある。

瀬戸内寂聴がケータイ小説を書いたと聞くが、どれほどのものを書いたのだろうか。
機会があったら眺めてみたい気がする。

とにかくわたしの読んだ「あたし彼女」には作者の存在感がし、登場人物が生きていた。
恐れ入った次第である。

佐伯泰英という大流行の時代小説家がいて、毎月一本作品を仕上げている。
あれはおじさんおばさん用のケータイ小説だが、ケータイ小説ほどの斬新さはない。
ただ読み捨てる意味においてはあれほど軽佻浮薄で味わいのあるものもなかろう。
その味わいがごくごく浅いところが、たまらない魅力かもしれない。

ともに現代を象徴しているが、可能性としてはケータイ小説の深みが勝り、その深みは計り知れない。

付け加えておかなければならないが、個人的にわたしは佐伯泰英氏を敬愛している、作品は横に置いての話だが…、立派な生き方をしていると信頼している。

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