2008年10月14日火曜日

マンデラの名もなき看守 ( GOODBYE BAFANA)



久しぶりに映画を見る。

寡黙ないい映画だった。
たいていのいい作品は寡黙であり、過剰なものに佳品は少ない。

ところで原題のBafanaとは、グレゴリー(マンデラの看守)がまだ差別意識を植え込まれていなかった幼い頃に一緒に遊んでいた黒人少年の名前で、そのままタイトルにするとわかりにくいので「マンデラの名もなき看守」となった。
「マンデラと名もなき看守」としてもいいところだが、この看守、マンデラ専用の看守のように上から扱われていたためこのような邦題となった。

わたしの趣味としては「マンデラと名もなき看守」でいいと思う。
マンデラが日本語を解するならばそう思うのではなかろうか。

なぜか?

映画中、そのようにマンデラがグレゴリーに接していたからだ。

映画の中でマンデラが嘆願が届かなければ暴力に訴えるのも仕方がないだろう、というニュアンスの発言をするが、わたしもそういう側だ。
その規模にもよるが、支配者に対しての暴力はテロリズムと一概に言っていいものかどうか。
それしかないように仕向けたことは無かったのか。

人間の醜さを事を荒立てることなく静かに描いた佳品であった。

マンデラの刑務所内での生活は27年に及ぶ。
47歳が収監の始まり(ロベン島)であることを思えば、その精神のありようは奇跡だ。

いまではそのロベン島もユネスコの世界遺産になっている。

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