希望は戦争
昨年の初め「論座」に掲載された赤木智弘氏の論文がタイトルのような内容だった。
別に戦争を希望しているのではなく、今の日本が戦争における軍隊のようで上官に対しなんらの反抗もできない、しかも上官との位置関係を逆転できる可能性がほぼ絶無な状態ではないかと嘆いているのです。
正社員とフリーター、派遣との関係をそういうふうに嘆いて見せたわけです。
で、結局そういう固定的な関係性を壊すのは戦争ぐらいだろうといっているわけです。
ワーキング・プアの状況を示唆した論文として一事話題を呼んだものですが、わたしもまたその固定性は非常に堅固なものだと思います。
人食いライオンにでもならなければ、下に置かれたものは反逆できません。
その代わりに戦争を願ったとしても何ら不思議でもないでしょう。
けれども富める者が、その富める状態から「退却」できれば、ことは前に進みます。
そういう冒険抜きの戯言として、「みんなが幸せになるように経済成長しよう」という主張の中に解決策はあるのでしょうか。
国会中継を見て、別に解決など望んでもいないのかこの連中はと思うことがしばしばですが、どうしたもんでしょうね、赤木さん。
別に戦争を希望しているのではなく、今の日本が戦争における軍隊のようで上官に対しなんらの反抗もできない、しかも上官との位置関係を逆転できる可能性がほぼ絶無な状態ではないかと嘆いているのです。
正社員とフリーター、派遣との関係をそういうふうに嘆いて見せたわけです。
で、結局そういう固定的な関係性を壊すのは戦争ぐらいだろうといっているわけです。
ワーキング・プアの状況を示唆した論文として一事話題を呼んだものですが、わたしもまたその固定性は非常に堅固なものだと思います。
人食いライオンにでもならなければ、下に置かれたものは反逆できません。
その代わりに戦争を願ったとしても何ら不思議でもないでしょう。
けれども富める者が、その富める状態から「退却」できれば、ことは前に進みます。
そういう冒険抜きの戯言として、「みんなが幸せになるように経済成長しよう」という主張の中に解決策はあるのでしょうか。
国会中継を見て、別に解決など望んでもいないのかこの連中はと思うことがしばしばですが、どうしたもんでしょうね、赤木さん。
ラベル: 社会
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