2008年10月3日金曜日

屋久島~その1~

鈴本の上席に小三治があがっているが、行ってみてどうかはそれぞれに任されているのでお勧めはしないが、ご報告まで。(5,6,8日は休演のようだ)

このブログは嘆きが多く、それらを積み重ねていけばわたしが今の世を決して好んでいないのはよくお分かりだと思う。
しかしながら、世の中というのは多元的なものでダイレクトにその政治的圧力を受けるものでもない。

たとえば、羽生や森内にとっては将棋がその緩衝域になるだろうし、(もしかしたら彼らのこの世は将棋のなかにあるのかもしれない)イチローのそれは野球であるし、漆職人には世の中がわたしの嫌う世の中と同じようには見えていないはずだ。
この多元的というか多層的というかの見方はなかなかに厄介だが、この厄介さのために人は生きていけたりする。
そしてこの厄介な人それぞれの世の中は、なにをやっているかで決まるわけではなく、いろいろとバリエーションがあり、たとえば羽生将棋を見るところに位相を作る人もいれば、ある飲み屋に通うところに位相を作る人もいる。
位相を作ることを意識しているかどうかは別にして、そういうあちこちに逃げ場は存在するし、その逃げ場をつぶしに権力は動く。(結果として)
もちろん権力とともに商業主義も動くのは彼らの金と力によるもので、そういう乱暴者にささやかな逃げ場(世の中を別様に眺められる場所)をつぶされるのは癪に障るが、反逆するのは難しい。
それが、マスと個人の戦いの行き着く一般的なところだ。

屋久島であっても、そこに住めば、そこに行けば、屋久島の森のあの屋久杉のそばに行けば、あのウミガメの浜に行けば、…別様に世界が見えたりすることはあるのだが、世界遺産にしたり観光化を急かせれば、ひそやかな楽しみの場所ではなくなってしまうかもしれない。

わたしの場合は、こうやって屋久島のことを書いているのがひとつの逃げ場所なので、ときどき書かせてもらうことにしようと思った。(わがままだけれども)

屋久島の観光化がそれほど急激でないのは、沖縄のようにあっという間に飛行機に乗ればついてしまう場所ではないからだろう。

いまはどうだろう。

わたしの知る限り屋久島へは鹿児島空港から屋久島空港への飛行機が(約40分)5往復程度飛んでいるに過ぎない。
あとは鹿児島港からフェリーかジェットフォイルに乗るかの船便しかない。
いずれにしろ鹿児島まで船か鉄道か飛行機で行くというめんどくささがあり、沖縄までの盛り上がりは見られない。

しかし島の周囲132キロの小さな島であることを考えれば、シーズンである夏には多くの観光客が押し寄せ、観光客制限を考えているはずだ。(特に入山制限を。すでに始まっているかもしれない)

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