王貞治を思うとき
王貞治のファンだと最近書いたが、そのときわたしの胸にあったのは、長嶋茂雄は嫌いであったなあという思いだった。
今でもその思いは引きずっているが、正確には長嶋茂雄でなく無頓着に長島のファンだと言い切る長嶋茂雄のファンたちに嫌気がさしていた。
その説明ならば多少なりともできるが、今は王のファンであることに誇りを持つことを中心において書かしてほしい。
今夕、散々馬鹿にしていたテレビ番組で王の人となりを映していた。
その中では王のファンたちを多く映し出し、大きな力を確認させてもらった。
いい番組もある、もちろん。
彼の(監督をしていたチームの)選手まで彼のファンであった。
こういうことは王貞治が巨人軍の指揮者をしていたときは起こらなかった。
あのころの巨人軍には、今もそうだが馬鹿が多く、王貞治が何者であるかを知らなかった。
いい番組を見せてくれたテレビに感謝したい。
そして、彼のファンであったことを噛み締めたい。
イチローが王貞治を世界一にしたいと言ったのは伊達に言った言葉ではない。
長島が監督ならそうは言わなかったし、星野が監督であってもそうだろう。
ファンであることも、祭りではない表層以外のものを持つことがある。
いつも文句を言うテレビだが、いい企画のいい番組を見せてもらった。
ありがとう。
ラベル: 社会
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